横浜パン4
やがて関東一円はもとより、神戸などからも横浜へ製パン技術を学びにくるものが増えました。
このため、横浜はパンの一大生産地となり、またパン職人の大供給地にもなったのです。
明治、大正と、横浜パンの中心的存在を果したのは、横浜ベイカリー、富田屋、勢国堂で、これらのパン商人は、一代で莫大な財産を築いています。
この背景には外国人の需要や洋食の普及のほか、明治政府がパンやビスケットを陸海軍の兵糧として採用したことがあげられます。
そして明治の日清、日露戦争、大正三年の第一次世界大戦と、相次ぐ戦争でパンの需要はいっそう増しました。